片隅の町の幸せ

それは、あなたの小さな幸せ

排出すること

 私は人と向き合ったり、人の中に入るのが苦手だ。慣れた人やグループならいいが、そうでないと、人の中に入るのが怖い。人混みの中や、電車に乗ると、不安になってしまう。

 今、人と接点が少ない仕事をしているのもその為だ。バイクで一人走るのが好きなのも、きっとその為だろう。

 「あなたには言語障害があるんじゃない?」
 と、知人の看護師に言われた事がある。そうかもしれないと、思った。私は、人と向き合うと、言葉が出ないのだ。

 そんな私の心の内側では、マイナスな言葉が洪水のように氾濫している。嫉妬、憎悪、怒り、恐怖・・・
 毎夜、布団の中で、私は、のたうって、うめいてきた。目をつむったら、過去、私が受けた経験がよみがえって来るのだ。

 他人から受けた冷たい視線、嫌味、暴言、舌打ち・・・何年も、何十年前の事までさかのぼって、次々とよみがえってくる。いい経験も、優しい事もしてもらっただろう、と、思い出そうと努力するが、冷たい視線や嫌味が、私の内側の憎悪に火をつけてしまうのだ。そして、のたうって、獣みたいにうめいてしまう。

 同じ事を、お前もしただろう・・・そんなささやきが聞こえてきて、私が他人にしてきた冷酷な仕打ちが浮かび上がって、頭をかきむしって、のたうつ。



 いろんな本を読んだ。そして、ますます自分を責めていく。どの本にも書いてある事は、「プラス思考」と「ポジティブに・・・」という単語だ。その二つの単語は、実に簡単に書いてある。そして、この二つの言葉を自分自身に身に付けられない私を、最悪の人間だと思い、みんなが私をそんな人間だと認識しているんじゃないかと、思う。

 布団の中で苦しみながら、私が試みた事は、私の心を、客観的に見ようとしたことだ。心と肉体を二つに分けて、心がある苦しんでいる私と、肉体だけの私とに分けた。・・・つまり、苦しむ私を幽体離脱させて、それを離れて客観的に見ようとしたのだ。

 すこし、楽だった。でもすぐに、離れた心は戻ってしまう。心と肉体は切り離せないと分かった。でも、心と肉体は別のもので、人は心と肉体の二つの要素で成り立っていると、思う事もできた。



 ある時、私は本屋で、アレルギーに関する本を手にとった。私は、アトピーで、たまに首筋や背中に湿疹が出たりする。だから、その本を手にとって読んていたのだ。

 人間というのは、排出する事がもっとも大事だ、と書いてある。排出されないと、体調に異変をきたす・・・だから、排出する・・・
 その時こんな事を思い出した。
 (そういえばテレビで、結石で尿が出せなくて、死の危険にある猫を獣医が救っていた・・・)
 と。

 排出する・・・
 排出している・・・
 人は、排出する。小便を、ウンコを、目くそを、鼻くそを、痰を、汚らしい汚物を、排出する。それは生きていくうえでの絶対条件だ。

 人は排出する。肉体から、汚物を排出する・・・肉体だけ・・・?
 人は、心と肉体の二つの要素ではないのか・・・そしたら、心だって、排出するんじゃないか。排出しないといけないんじゃないか?

 肉体は食べ物から栄養分を吸収して、汚物を排出する。心だって、同じじゃないのか・・・。経験した素晴らしい事、優しい言葉、温かい視線、それらを吸収して、汚物を排出してるんじゃないか!?

 他人から受けた、または私が他人にした、冷酷な言葉や冷たい視線や暴言や嫌味や仕打ちの、汚物のような体験を排出しているんじゃないか?私は、その心の排出の作業に、苦しんでいたんじゃないか・・・

 それは、心と肉体が切り離せないから。我慢していた大便を出した時、心が壮快になるのは、肉体と切り離せないから。過去の思い出に肉体がのたうつのは、心と切り離せないから。悪い思い出ばかり出てくるのは、心がそれらを排出しているからだ。排出しないと心が破綻してしまうからだ。


 こう思うようになったら、もうちょっと少し、楽になった。楽な時間が長くなった。
 でも私はまだ、布団の中でのたうって、うめいています・・・