片隅の町の幸せ

それは、あなたの小さな幸せ

今週のお題「東北地方太平洋沖地震」・自分を振り返って

今回長いです。
http://jishin.ldblog.jp/archives/51656127.html←ひとりの大阪府議会議員のおじさんの発言。興味がある人はのぞいて下さい。


 3/11以降、私の生活は変わってないけど。私はなんか、違う人間になったんじゃないかと思う。3/11以前の私と、以降の私は、違う気がするのだ。
 「被災地に暴動も略奪も起きない、この日本人の美徳に外国が驚き賞賛」
 新聞に何度も登場するこの言葉に勇気付けられた人、誇らしく思った人、多いんじゃないかな。
 私は・・・こう思った。
 この言葉は外国人の視点の感想で、そして、その外国人の感想に、被災者以外の人が、感動している。この言葉で感動する事で動揺を消そうとしている。

 大きな暴動・略奪が当たり前の外国と同じレベルで感動してていいのだろうか?被災者の方々は感情がある人間。男だし女だし、大事なものを失ったし、守るものがあるし。夜がくるし寒さがくるし。飢えと渇きがある。放射能まである。

 私は行動力もなくて、なさけない気持ちをずっと引きずってるのだけれど、それならせめて、外からの声に揺らされずに何が起こっているのか、しっかり調べて見ないといけない、と思う。
 そうじゃないと、上の府議会議員のおじさんのような発言になると思うのだ。

 今後、外国は賞賛じゃなくて、厳しい視点を突きつけてくると思う。関東・東北産の農産物と魚介類だ。だから私は、外国の声に揺らされないようにしないと。食べてはいけないと思ったら食べなくてもいい。小さい子供を抱えてる人や妊婦さんは不安だろう。でも、大丈夫だと判断したら、外国が拒絶しても、買って食べるのだ。もりもり食べる。その判断は、外からの声に揺らされてはいけないんだ。

 3/11以前の私と、以降の私は、違う気がする・・・というのは、変わらないといけない、って気持ちかもしれない。
 上の府議会議員のおじさんの発言とは違う意味で・・・将来、十年二十年三十年後・・・
 この超大震災があって、良かったんだ。おかげで、日本と日本人は変われたんだ。尊い数万の犠牲に対して後世の人に、こう思われないといけない、と思う。

 外からの声を冷静に受け止め、自分で調べ見つめる。被災者じゃない私はまずそこから。


 長くなってしまったし、この内容、読んだ人、気分を害した人もいるだろうな・・・反論だってして欲しい。