お遍路のこと⑥・・・見失う

 遍路道保存協力会・・・なる協会があって、そこで出版している、遍路道の地図や、へんろの心得などの書籍があります。

 そして、遍路道沿いに四国を一周、小屋を建てる計画も、しているようで、今現在も実行中のようです。

参照・一般社団法人 へんろみち保存協力会

 そして、協会と関係ない地元の人が個人的に、小屋を設けたりしているのです。お遍路さんを休憩させたりするのが目的でしょう。布団も置いてあったりして、そこに寝泊りするお遍路さんもいるのでしょう。お金のない、貧乏遍路さんなんかは、とても有り難いと感じているはずです。

 しかし・・・



 前回も前々回も書きましたが、四国にお遍路に一文無しで来る訳ありの人たちがいるようですが、そうした人たちとはまた違う種類の人たちが、私はいると思うのです。
 つまり、四国に来れば泊まる小屋がある、お接待で食料ももらえる時もある、それを知った上で、訳があるわけでもないのに社会から抜け出してくる人たち・・・が、いるように思うのです。
 そんな人たちは、お寺でお経を声を出して読み、手を合わせたりしてますが、そのお経が、実に気持ち悪く聞こえる。何度も回るうちに覚えてしまったお経でしょうが、プロのお坊さんが読むお経と比べると、どうしても異質に聞こえる。親しい人のお葬式で、お坊さんのお経の声に涙が轟々と流れたことが何度かありますけど。プロが読むお経とは、その為にあるのかと思ったりもします。
 社会から離れた世界でお経を覚えてしまったことによって、信仰の本質を手に入れたと・・・そんな汚れた慢心が、彼らからビシビシ伝わってきます。



 まあ私も、彼らのような、自分を見失った世界に引き寄せられそうな時もあります。将来、どうしようもなくなったら、彼らのようになってしまうのもいいかもしれない、と思ったりします。それは、最大限努力して避けたいとも思うのですけど・・・。やはり、自分の力で社会とつながっていたいのです。