大いなる河④・・・勇気と敵
治部少(じぶのしょう。三成のこと)に過ぎたるもの二つあり 島の左近と佐和山の城
こういわれるほど、石田三成公の所領(今の滋賀県彦根市)は小さなもので、約十七万石です。小さな所領に、三成公は大きな天守閣を建築しました。そして、浪人していた天下の名士、島左近を軍師として迎えるのです。
島左近の恐ろしさは、関ヶ原東軍武将が子や孫に、昔話として伝えたといわれています。大物、島左近。小大名の三成公には不相応と、誰もが思ったでしょう。
秀吉の家来のなかでも、三成公は戦での武功は多くはなかったようです。大きな城や天下に名が響く軍師を家来にしたのは、自分の弱点を補うためといわれています。天下を平定した秀吉には、優秀な文官として仕えていたようです。
しかし、いくら武功がないとしても、三成公が軟弱なだけの文官なら、島左近ほどの名士が家来にならないでしょう。
文官としても三成公はおべっか使いではなく、主君に対し堂々と諫言できる人物でした。だから秀吉は、天下の統治に三成公を認めていたのです。
また、規律を守る(他の武将にも守らせる)真面目な人柄であったそうです。それゆえに、敵が多かったのかもしれません。相手によっては、真面目な人柄が融通の利かない性格に受け取られたことでしょう。
ただし、戦場の勇・島左近は、三成公の真っ直ぐで純な気性を、仕えるに値する殿だと受け入れたのかもしれません。
イヤなやつ。私は、三成公にそんなイメージを持っています。いうことやることすべて的を得ているが、ついつい相手のプライドを傷つけてしまう。三成公は民にとっては優しい殿様でも、同僚の武将たちにしたら、話の通じないクソ野郎だったのかもしれません。
そんな石田三成公を演じるにぴったりの俳優とは?三成大河が名作になると私がいう理由は、その俳優あってのことです。
天下人秀吉に物申し、巨人家康に島左近とともに立ち向かった勇気ある人物。 一方で、人の心の機微が分からずに多くの敵を作ってしまう性格。
佐和山(現在の彦根市)に巨城を築く見栄っ張り。
・・・その俳優とは、
NHK関係者のみなさん、いいですか?
発表しますよっ!
この人ですっ!
ひこにゃんさんですっ!!
バキッ!!( -_-)=○☆)>_<)アウッ!
・・・失礼しましたm(_ _)m。
では、その俳優とは・・・
木村拓哉さんですっ!
つづく。