片隅の町の幸せ

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大いなる河⑥・・・大いなる理想

 戦国時代。天下を獲ろうとするほどの武将は、どんな理想を抱いていたのでしょう?秀吉は?家康は?
 理想はあったのでしょうか?
 秀吉も家康も、自分の身と自分の家のことを考えてはいたでしょう。しかし民たちが抱く理想を考えていたでしょうか?
 どうしても、二人からそんな優しい理想はみられない。
 信長は?信長だったら、どうしていたのだろう・・・


 豊臣秀頼


 秀吉が残した息子、秀頼。あほうだった、などといわれています。そうではなかった、ともいわれている。秀頼の母親は淀殿淀殿の母親は信長の妹、市。父親は、近江の名将・浅井長政
 秀頼は、父・秀吉の猿のような風貌ではなかったそうです。母方の血を濃く受けついでいたようだ。浅井長政を思わせる堂々たる体だったそうです。
 家康が豊臣家を完全滅亡させようと決意したのは、秀頼の内に秘められた武将としての本能を恐れた・・・という人もいる。

 
 浅井長政


 三成公は、秀頼が幼少のときに没しています。しかし、そのときすでに秀頼の資質を見抜いていたとしたら・・・。しかも浅井長政は、三成公のふるさと近江の名将。憧れもあったでしょう。秀頼はその血をひいているのです。伝説の英雄・信長の血も流れている。
 天下平定後の秀吉の愚政。秀吉没後の家康の陰湿な横暴。それらを目の当たりにした三成公は、どんな理想を持って未来を見ていたのでしょう?
 家康を倒し、豊臣の政権を守る。秀頼には民のことを第一に考える教育を、三成公自身がする。秀頼を信長や長政を合わせたような英傑に、自分が育てる・・・。


  直江兼続


 三成公は、会津上杉家の重臣直江兼続と共に、打倒家康の計画を練ります。三成公が会津に行ったとする史実は知りませんが、もし行っていたとしたら、きっと海を、太平洋を望みにいったのではないか。そう思います。
 ふるさと近江の琵琶湖よりも大きく荒々しい海。しかし全てを受け入れるような優しい太平洋を眼前にして、三成公は家康を倒した後の日本の未来を夢見る。




 キムタク三成公が、真っ直ぐな鼻筋と力のある眼差しで海の前に立つシーンは、ぜひやってほしいものです。