どんなときも
夢の扉
毎週日曜(18:30〜19:00)のテレビ番組、知ってますか?
私はわりと楽しみにして見ています。
日本人の底力というか、先見性をみせつけられるテレビ番組ですね。
そして一方でこの番組を見ていると、なぜ現代社会にはびこる諸問題が解決されないのか?
・・・という疑問も浮かんでしまいます。
特に、エネルギー問題。
番組では、日本人が生み出した自然エネルギーの可能性を、色々と取り上げています。太陽、風力、波、振動・・・とか。石油を作り出す微生物とか。消費エネルギーを低く抑える諸技術とか。
世界があっと驚くニッポンの科学力、開発力。じっさい、開発者にコンタクトを取る外国や外国企業もあるそうです。
そんな素晴らしい技術を、そして金も日本は持っているのに、なぜこの国で実用・発展化されないのか、不思議でしかたがありません。
作家の司馬遼太郎先生が、戦国を描く小説の中でこんなことを言っておられました。
『人間というものは、利と恐怖で動く』
宇宙世紀を描いたアニメ、機動戦士ガンダム。地球に巣食う特権階級について、アムロ・レイとシャア・アズナブルは、互いを責め合いました。
アムロ 『人類の英知は、そんなものだって乗り越えられるっ』
シャア 『ならば愚民どもに、今すぐ英知をさずけてみせろっ』
報道ステーションの古館一郎さんは、生放送で言いのけました。
『原子力村というものが、存在します。村からの圧力が存在します』
キラキラとした夢は、ドロドロとした欲望にはるか及ばないのでしょうか?
夢とは、美しく清らかなものでしょうか?
歌手の槙原敬之さんは、こんな歌詞をつくりました。
『たとえ他の誰かを、知らずに傷つけても、絶対ゆずれない夢が僕にはあるよ』
■http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120616/plc12061610470006-n1.htm■
絶対ゆずれない、手放せない 『利』 という欲望が、村の住民たちには渦巻いているのでしょうか?
それならば、クリーンエネルギーに 『利』 という餌をまいて住民を惹きつけて 『パクッ』 と喰らわせればいいのではないかと思いますが、それでは・・・
〇〇村の〇〇が代わっただけではないか・・・と不快感をもってしまうのでしょうね。
しかしそれが、国家が生き残ってきた歴史のようにも思える。それが政治だとも思えます。
槙原さんの歌のように、小さくともキラキラしていても、どこかの夢とどこかの夢が向き合えば、どんなときも、どちらかが欲望に昇華してしまうのかもしれませんね。
でもその欲望のひとつひとつが大きくなって社会を動かしていくのだとすれば、やっぱり私たちは、どんなときも、夢を持たなければけならないのかもしれません。
微かなキラキラのような小ささでも、夢は持つほうがいいのかもしれませんね。
つまり、何が言いたいかというと・・・
そこのお姉さんっ!
あなたは絶対に、ゆずれないっ、どんなときも私の夢なんですよっ!
そこのお姉さんっ!
ビシッ!!
パクッとしたろかぁ〜〜・・・
バキッ!!( -_-)=○☆)>_<)アウッ!