片隅の町の幸せ

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帰る

 はだしのゲン 

 
 最近、この劇画が新聞に取り上げられていました。
 どこぞの県の、教育のお偉いさんが、子供が見れないように(全部か、一部か知りませんが)規制したという記事です。
 そしてその描写の一部が新聞に乗っておりました。
 私は正直に思ったのです。
 はっきり言ってこの描写は残酷だと。
 もし私に子供がいたら、あえてこのシーンを見せるかといったら・・・


 「・・・見せないな・・・」
 ・・・と。





 その新聞に乗っていた描写に、私は記憶がありました。
 私が小学生の時に見たからです。
 劇画、「はだしのゲン」は、小学校の教室の後ろの本棚に置いてありました。私は読んでいたのです。クラスメートも読んでいました。皆に読まれて、背表紙が割りとボロボロになって、無造作に置かれていました。




 推薦とか、規制とか、そういった感じではなく、無造作に置かれていたのです。ボロボロの劇画集は、教室の景色の一つでした。



 今の私とその当時の私では、どうも、規制対象になった描写を見た感想が違うようだ。「見せない」と思う理由はそこなのだろうか?





 昨日の土曜日、私は大阪の都心に行きました。せっかく梅田に出たのだから、用事が終わってぶらぶらしたらいいのでしょうが、そそくさと帰りの電車に乗りました。落ち着かないのだ。

 


 もし私が、家に帰れなかったら、闘病中の母親と少々ボケだした父親はどうなるかと思うと、帰るということは途方もないことだと思ってしまう。
 戦争、大災害・・・
 突如、それらが降りかかって、家に帰れなかったら・・・
 小学生の私はそんなこと考えもしなかったから、家に帰れないということがどういうことか微塵にすら考えたこともなかったから、「はだしのゲン」という劇画を、ただの面白い物語として読んでいたのでしょう。
 推薦だろうが規制だろうが知ったことではなく、ただのワクワクする、少年漫画だったのだ。


 むしろ残酷シーンが、友達と悪ふざけしあうネタであったりした。