片隅の町の幸せ

それは、あなたの小さな幸せ

心の光(四)、回復

 

 服用していた薬をすべてゴミ箱に捨ててしまった母親に、私はできる限り、食事を手作りして食べさせることにしました。というのもその時の母親は、食べる時も飲む時も、「にがいにがい」と言っていたのです。おそらく薬の副作用かと思うのですが、母親にとったらその副作用が、病院が処方してきた薬による陰謀だという被害妄想に犯されていたのです。食べるものに非常に警戒心を抱いていました。それ以外にも、電話や郵便物やインターホンにも敏感になっていました。母親の顔は常に緊張を浮かべていました。

 いったいどのような世界が、母親の頭の中に渦巻いていたのか・・・ 

 しかしそんな母親も、家に帰ってきて、少しずつ少しずつ、絡まりあった糸玉がほぐれていくように、平穏な表情を取り戻してきたのです。いつの間にか、食べても飲んでも「にがい」とは言わなくなりました。実際、私が出す食事を美味しいと感じているようでした。病院のことも言わなくなりました。

 私は母親に、縁側に出て日向ぼっこをしてみないかと勧めてみました。外の世界に警戒心を抱いていた母親ですが、あっさりと承諾してくれました。それからは縁側での日向ぼっこが日課になりました。その後も私は介護用品事業所に出向き、車椅子と四点杖をレンタルしました。当時の母親は、もちろん一人で歩くこともできません。杖をついてでもです。そこで車椅子でなら一緒に外に短時間でも出ることができるし、安定感がある四点杖なら、ひょっとしたら一人で歩けるかもしれないと思ったのです。

 介護用品というのは、よく考えられたものだと感心しました。普通の杖なら歩けなかった母親が、四点杖を使ったら、よちよちですが歩くことができたのです。まるで赤ん坊が立ち上がって歩き出したようでした。私は天気のいい日に、母親を車いすに乗せて外に出ました。






 医者や医療に不信感不快感を抱いていた母親ですが、もう大丈夫かもしれないと考えた私は、訪問緩和医師を家に呼びたいと持ちかけました。やはり、医師とつながりがなく家族だけで母親を見ることは不安であったのです。そして想像以上にあっさり承諾してくれたのには驚きました。やってきた医師は母親を診察して、非常に顔色もいいし、思っていた以上に状態はいいですね・・・と言ったのです。その医師は、二週間おきに来ることになりました。
 やせ衰えていた母親の体重も、2kg増え・・・。前の担当医が宣言していた、余命が十月ごろだろうというその十月が来ても、母親の体調良好は続きました。


 本当にこのまま治ってしまうのではないか。
 またお遍路の旅でも、出られるのではないか。
 そう思いました。