片隅の町の幸せ

それは、あなたの小さな幸せ

私だって・・・

12月20日朝日新聞夕刊より・・・

セッちゃん本当は誰? -保険証自作、無縁の最期- 
 ラブホテルの男性従業員は、仕事を無断で休んでいる鈴木節子さんの木造アパートのドアを叩いた。レスキュー隊がこじ開けたドアから中に入る。電気がついた六畳間の布団の上で、冷たくなっている鈴木さんは発見された。

 パジャマ姿の鈴木さんの遺体は、死後二日前後とみられた。推定、六十六歳。


 遺品は携帯電話にキャッシュカード。金融機関には貯金がある。だが、この木造アパートの住民基本台帳ネットワークには、「鈴木節子」の情報がない。携帯電話の履歴は職場だけ。身分証明に使っていたとみられる健康保険証は、偽造だと判明した。

 鈴木節子、という名前さえ、本名かどうか分からなくなる・・・


 鈴木さんはこの木造アパートに、二十年前からある男性と同居し始めたが、その男性は1999年に死亡。男性の弟は、鈴木さんに遺族年金がもらえる可能性を話すも、鈴木さんはそれを、「いりません」と辞退する。弟の目に鈴木さんは、欲のない人物に映った。

 そのままアパートに住み続ける鈴木さんの周囲の人は、こう話す。

 「四万円の家賃を滞らせた事がない、きちんとした人」               「好きな野球チーム、阪神のことをよく話題にしていた」               「冗談を言いよく笑い、職場の信頼も厚い。後輩にも親切に仕事を教えていた」 「服装は地味で、化粧も薄い美人」                          「他人の悪口や愚痴を聞いたことがない」

 鈴木さんとよく外出した女性は、こう言う。

 「鈴木さんとは、天王寺動物園大阪城公園によく出かけた。でも、家族の事は、名古屋に実家があるとしか、決して話さなかった」

 亡くなる直前、歩くのも困難なほど体調を崩した鈴木さんを周囲は心配するが、病院への通院記録はなかった。

 鈴木節子さんは一体、誰だったのか・・・
 
 どんな知識人と称す人たちの話より、社会的地位の高い人の説教より、鈴木さんの人生に私自身の存在を確かめる事ができて、心が熱くなった。

 鈴木さんは、混沌とした人々の中のすがすがしい花みたいだ。苦悩もあっただろうし、何かから逃げてたのかもしれないが、静かに、でもきちんと終わったその人生は、私みたいに弱虫でマイナス因子のかたまりのような人間でも、存在してる事が大切なんだと思ってもいいと、思わせてくれた。

 「うわっ、私の事、記事にしてはるわ・・・アホちゃう」

 鈴木さんはあの世からこんなことを言いながら、娑婆を見おろしてるような気がする。