片隅の町の幸せ

それは、あなたの小さな幸せ

枕もとのあいつ

 私には身近に、自ら命を絶った人が、二人いる。その内の一人は、同じ団地の同じ棟に住んでいた同い年の幼友達だ。高校からは別々になって、私が引っ越したりして、連絡も取れなくなっていった。

 ずーっと、時が経って、ある日そいつが夢に出てきた。真面目な顔で、
 「お前、アホやなあ」
 そう言ったのだ。はっきりそう言った。

 その日の夕飯の時だ、母親が急に、
 「・・・団地におった時、・・・って子、友達やったやろ。あの子な、死んでんで」
 母親が言った、あの子とは、夢に出てきたあいつの事だった。
 「なんで?」
 「それがな、自殺らしいねん」
 「いつ?」
 「高校卒業してすぐ。なんか、進路の事で、らしいわ。勉強できる子やったのになあ。あんたがショック受けると思って、その時言わんかったんや」

 じゃあなんで、あいつの事を夢に見た日の、このタイミングで言うんだ。そう思ったが、十年以上も経ってどうして突然思い出したように言うのさ。とは、母親には言わなかった。それは、あいつの夢は、夢じゃないと思ったからだ。あいつは本当に、私の所に来たんだと、すぐにそう直感したから。

 直感の理由は、夢を見た日と母親がそんな事を言った日が、偶然にも同じ日だったから、と言うのもあるが、もっと強い確信は、
 「お前、アホやなあ」
 このあいつの発言を、しっくりと受け入れる事ができたから。何が言いたいか、あいつの心が手に取るようにわかったから。

 いい加減で中途半端な小・中学校時代の私の姿勢が、まったく変わっていないのを見て、あいつは「アホや」と言ったんだ。そんな顔をしていた。

 お前は、まだ、しょうもない事やっとんやな。やっぱりお前はそんな奴や。そんな口調だった。




 あいつの自殺の事実を知ってから、十年近く経ったけど、あいつは、あれ以来現れない。会いたいとも思わないのだが。だって、「アホや」と言われたって、あれから私なりに立ち直ってきたつもりなんだ。私は他人から見たら、いい年した男が、と親戚に言われるような人間だけど、せめてこの人生をちゃんと終わらせたいと、這いつくばって少しずつ進んでいるつもりなんだ。

 それでも、あいつに会いたいと思う時もある。どうしようもなく、この世から消えたくなる時に、会いたくなる。「お前、アホやなあ」、あいつの声が聞こえてくる。