片隅の町の幸せ

それは、あなたの小さな幸せ

同情・・・シンパシー

 ここ最近、同情について考えている。

 そんなきっかけが、あった。それと、祖母の葬儀があって、親戚の集まりに入ったからだ。
 
 私はそんな集まりが苦手なんだ。コミュニケーションをとらないといけない場が、時間が、苦痛なのである。だから、しっかり仕事をし家庭を持つ同年代のいとこ達にとって、私はあつかいにくい存在だったろう。

 この年齢で、情けないんだけどね。

 昔から、学校の職場の、休憩時間が苦手だった。その時間は、過ぎるのが長く感じる。たまに誰かが同情の手を差し伸べてくれると、その人が、溺れている最中のワラのように見えた。

 今回の親戚の集まりで、私に同情の手を差し伸べてくれたのは、子供たちだ。まったく、だらしない・・・

 
 しかしこの、「同情」という日本語は、響きが悪いな。する方もされる方も、よくない事をしているような気持ちになる。そもそも私はこの言葉を、ちゃんと説明できない。するとしたら、「あわれみ」だ。

 なんか、イヤだな。

 英語で表現すると、「シンパシー」らしい。こっちの方が、響きがいいじゃないか。しかも、「シンパシー」には、思いやり、とか、共感、という意味もある。
 なんか、いいな。うん、いい。


 立派な親戚たちの中で、身の置き所がないような私だから、こんな私だからこそ、「シンパシー」を持ちたい。
 私の核に、「シンパシー」を育て、大きくしたい。
 そのことを、真剣に考えたい。考えないといけない。