何と?
再入院した母親ですが、肺に水が溜まるのを防ぐ為に、胸膜と肺を癒着するような治療をするようです。その為に、肺の中の水をすべて抜く為に、わき腹にドレンをつけました。そこから点滴チューブみたいなのを常に付けているのです。
水が溜まらなくなってその後、化学療法(抗癌剤)を始めるかどうか、という話しになると思うのですが・・・
・・・ところで、
入院患者が食事やお茶をするスペースに、入院中の男性数人が集まって話をしていた。みな、五十代後半以上に見えました。みなおそらく、肺に腫瘍があるか、ある疑いの人たちでしょう。こんなことを言っていた。
「まな板の鯉やで。医者の言う通りせなしゃあないで」
なんとなく、入院して間もない人たちのように見えました。みな一様に、自身の状況を受け入れがたい様子に見えました。その中に一人だけ、妙に落ち着いた雰囲気の老人がいた。髪の毛のない頭部にニット帽をかぶっている。病院生活を満喫している風にも見えました。
「去年の九月から入院している」
・・・といいます。
「抗癌剤もな、ゆっくり入れてるんや。もう家におっても病院におってもいっしょやからな。気長にやっとるんよ。先生にもそういうとるんや。いそがへんから、ゆっくり入れてくれってな」
「それで、癌はなくなったんか?」
他の質問に、その老人はいいました。
「そんなんなくならへん。半分にはなったけどな」
その答えに、他の男性陣は黙ってしまいましたが・・・。老人は最後にこう付け加えていました。
「ゆっくりやらんと、死ぬかもしれんで」
ちなみにその老人の年齢は、私の母親とほぼ同じでした。
結局、病気との戦いは、痛みや苦しさの恐怖からいかに逃れるかってことにつきるんじゃないかと・・・
癌でも、楽に苦痛なく死ねるなら、何の未練もないと、母親もいっておりますが・・・。
その恐怖に勝つことが、自分自身の可能性なんでしょうか?
ちなみに、肺癌は基本的に、手術はできないようです。放射線も肺には難しいらしい。医師がいうには、治療法は抗癌剤しかないらしい。
もしくは、何もしないか・・・(その恐怖に勝つことが、自分自身の可能性なんでしょうか?)・・・これを緩和治療というようです。
上記の男性たちはこれから、何と戦っていくのでしょう。
癌と?
それとも恐怖と?
ほかに何か・・・
戦うなというのは、あまりにも酷な話でしょう。
私はいいたい、
バキッ!!( -_-)=○☆)>_<)アウッ!