片隅の町の幸せ

それは、あなたの小さな幸せ

心の光(五)、解放

 


 よく、『親の死に目に会えない』ことが否定的に言われたりします。でも私は、親の死に目に立ち会った人に聞いてみたいです。本当に、その場にいて良かったですか?って。
 私個人は、そこにいなかった方が良かったとも思う・・・という気持ちが、これからも絶対に消えないような気がします。
 でも、そこに絶対にいるようになってたんだと・・・しか思えないことも確かです。


 「親子でこういうことを繰り返しとるんや。な」


 こういいながら私に抱えられてポータブルトイレに座る母親は、母親(祖母)の最後の介護をしていたそうです。だからとはいいませんが、そうとしか思えないのです。





 嘘のように好転した母親の体調も、やがて悪化していきました。

 
 「やっぱり、医者の言うことは当たってるんやわ」

 
 母親は、妙に納得したように言っていました。みぞおちの痛みと激しい倦怠感で、やがて、食事も水分もとるのもままならなくなって、モルヒネと鎮静剤を皮下注射で二十四時間体内に投与し続けることになりました。
 薬で混濁しつづける母親の意識。緩和ケアとは、こういうことをいうのかと思いました。苦しみをとるのではなく、苦しみを意識ごと根こそぎとるんだ。だからこそ今考えると不思議なのです。その日、突然覚醒して、明朗に話し、お腹がすいたといって、蜂蜜と栗を食べたいといって、正月用に買っていた栗を食べさしました。
 その時分には、医者の訪問は毎日になっていました。そしてその日に限って、いつもよりもずいぶん遅い時間に、医者はやってきたのです。いつもより数時間も遅くに・・・それが不思議でしようがないのです。
 その数時間の間に、明朗だった母親も苦しくなってきたのか、横になってしまいました。でも、医者が部屋に入ってきて挨拶すると、私に体を起こせとの身振りをするので、私は母親を起こしました。ノートと書くものをというので、渡しました。母親は、力が入らない手でミミズが這っているようなものを書いたのです。文字とは思えない誰が見ても読めない代物でしたが、私にはわかりました。目の前の医者の名前だとはっきりわかりました。○○先生。


 「○○先生って書いたんか?」


 そう聞くと母親は、うんうんと頷きました。そしてひどく苦しそうなので、横になるかと聞くと、頷きました。私は母親を寝かせました。ものすごく苦しそうでした。
 医者が皮下注射の薬の入れ替えをしている時です。苦しそうに眉間にしわを寄せていた母親が、すっと目を開きました。天井をじっと見てるその顔から、今思うとはっきり分かるのですが、全く苦しさが消えていたのです。布団から手を天井に伸ばして、何かをつかもうとしているように宙をかいています。その何かがはっきり見えているように、苦しみから解放されたように目をしっかり開いていました。私はまた、薬が再び効いて意識が混濁の中に入っていくのだ・・・そう思いました。


 私が、その場にいない方が良かったとも思う、といったのは、その瞬間がその瞬間だと分かっていれば・・・という気持ちがこれからも消えないだろうと思うからです。天井に向かって伸びていた母親の手が布団の上に下ろされました。そして母親はまた目を閉じました。薬が効いてまた、眠るんだろう・・・と私は思ったのに。その間の母親の動きをじっとみていた医者は、


 「呼吸が止まっているかもしれません」


 といったのです。私は十数秒じっと座って寝ている母親を見ていました。医者の言う意味がよくわからなかったし。その医者も、いつものように、母親の血圧やら体温を計りだすだろうと思ったのです。でも医者は何も行動をとりません。異様に不安になって、私は母親の肩に手を置いて、「おい」とゆすりました。そしたら、糸の切れたとはこういうことかといった風に、母親の体がかくかくして空っぽの軽さだったのです。何か言うだろうと思って何度揺さぶっても、かくかくと空っぽの軽さだったのです。



 なんで、いつもより数時間も遅れてきた医者に合わすように・・・と今でも思います。その時でなければ、私はその場にいなかったかもしれないのに。トイレに入ってたかもしれないし、台所に立っていたかもしれないし、隣の部屋で新聞を読んでたかもしれないし・・・。
 それは、もちろん私の意志でもないし、母親の意志でもないし、何かもっと別のもののなせる意志のような気がする。母親の母親とか、その母親とか、そのまた前の・・・そんな大きな膨らみの意志のような気がする。