片隅の町の幸せ

それは、あなたの小さな幸せ

自己啓発とは一線を画す、犬との生活

犬と暮らすようになって、一年と十か月。この一か月と十か月、なんとか生き延びたな・・・と思います。

・・・死なずに済んだな・・・と。

たまっていくGメール

「生きる意味」というものを、考えること、誰もがあると思います。それを見つけるために、いろんな自己啓発系、スピリチュアル系の発信者のメールマガジンに登録したりする。そして、もちろん、毎日のようにメールが届きます。私の存在がそのままで素晴らしい、と思わせてくれる内容のメールが。そんなメールが、開かれることなく、どんどん溜まっていくようになりました。

そして考えます。もう、面倒くさい。死んでもいいかな・・・。

自殺はありえない

犬は自殺しないそうです。

(自殺する動物は人間だけなのでしょうか?)

死という概念がそもそもないのでしょうか?だから自ら死を選ぶなんて、ありえないのでしょう。ただ、生きている。飼い主に、生きるためのよすがを、握られて。

廊下で

ただ、生きる

私は昔、新聞配達をしている時、けっして幸せそうに見えない犬をたくさん見ました。庭に一日中鎖につながれっぱなしで、その鎖が足に絡まって、身動きが取れない犬。その家の娘が帰ってきて、犬がその娘にかすかにしっぽを振っても、その娘は犬を見もせずに玄関に入っていく。その犬は何のために生きてるのか。

良く考えると、私も鎖に絡まっているようなものです。自己肯定感。私はそのままで価値がある。キラキラした輝かしい人生。それを探そうとする自己啓発という鎖に絡まっている。そして、生きるのが面倒くさくなっている。

ただ、ただ生きるのが何が悪いのか。犬を見てると、そう思う。一緒に暮らしている犬は、私に、生きるよすがを握られている。そんなことを考えもせずに、日々、ただ生きている。

今日という日に

自己啓発の訓練で、一日の終わりに感謝をつづる、というのを続けていた。そして、続けられなくなった。今は、頭の中で、こう思うだけになっている。今日一日、俺は生きた。生きたんだ。そして、犬と一緒に寝る。今日という日をただ生きた犬のぬくもりに触れながら。