片隅の町の幸せ

それは、あなたの小さな幸せ

緑の猫

 おはようございます。今朝のNHKラジオ文芸館は、
 江國香織さん作、 『緑の猫』 ・・・でした。



 主人公は、高校生のモエコ。彼女は、親友のエミといつも一緒・・・でした。中学校の時も、通学の行きも帰りも、ずっと一緒。そして高校も一緒・・・だった。エミが精神を病みはじめるまでは・・・。言動がおかしくなり出したエミに、クラスで、嫌がらせさえはじまる。そして、エミは入院する。

 入院する前、エミはモエコに言います、
 「私は、紫の目をした、緑色の猫になりたいの。その猫は、死ぬまで誰にも会わないの」



 二人のずっと先の将来までは、描いていないのですが、モエコは淡々と、時々エミのことを思い出しながら、人生のレールを進んでいくに違いありません。エミは?
 エミは・・・きっと他人には不幸に見える、人生を送るのでしょう。
 だって誰だって、猫を見て、猫になりたくない・・・そう思う人なんて、いないのじゃないですか?でも猫になろうとはしない。エミは猫を目指す。



 海堂尊さんという、医者でもある作家(チームバチスタの栄光の人)が、心は脳にある・・・と言っているのです。脳に損傷があると、人は言動を惑わす。だから、脳に心がある。
 医者はこうあるべきだと思います。でないと、外科的に人を治せません。
 でも私は、心は脳には存在しないと思います。その理由は、
 言動の発信源は、心ではないからです。
 気持ちから言動は生まれ、そして気持ちは、心とはイコールしないのです。
 言い方が難しいですが、人は気持ちを手足と同じように制御できますが、するべきですが、心を征服できません。というか、何なのかさえ分からない



 でも、ときたまの瞬間、心を見たり感じたりすることが出来ます。そんな覚えが誰だってあると思います。そんなことを繰り返しながら、死んで魂になってやっと、自分の心を知ることが出来る。
 「緑の猫は、死ぬまで誰にも会わないの」
 エミのように、心を見ようとして深く深く掘りえぐってしまうことは、社会的に不都合なのかもしれません・・・




 ちょっとずつ・・・歩いていく、
 そして時々、休みながら、さぼりながら、
 スケベは走り続ける・・・