もうやばいついでだ

 「頑張らない介護」という運動と施設を実践している方が、深夜ラジオに出演されているのを、聴いた。その方が、講演での事を語っておられた。一人の若い主婦がその方に質問したのだ。

 「私は、介護をしている義理の親を殺したいと思ってしまう。どうしたらいいですか?」

 昔から日本は、代々、嫁が年老いた親の面倒を見るもの、それを施設に預けてなんだ。甘ったれるな。「頑張らない介護」にはこうした批判があるらしい。

 決してその主婦を責めずに、その方はこう言った。

 「時代は変わったんです。もう、人生五十年の時代じゃない。高齢社会の現代は、介護が十年二十年、いや、三十年続くんです。とても体がもつ筈がありません。いいですか、施設に預けてる時間を作って、あなたの自由な時間を作るんです。その主張をしなさい」

 誤解されないように言っておくが、その方は、介護される側にも、しっかりした目を向けている。特に金銭の問題だ。ご老人が、若い夫婦に資産を握られてしまう悪い事例も、訴えておられた。


 
 もう二十年も前かな、「ニュース23」という報道番組で、若者と識者との公開討論みたいなのをやっていた。そして若者の一人がこう言ったのだ。

 「僕は人を殺してはいけないのは分かってる。でも、どうして人を殺してはいけないんですか?」

 騒然とする番組の翌日から、ちょっとした社会問題になった。「殺してはいけないのは分かってる」が消され、「どうして殺してはいけないんですか?」だけが、メディアを駆け巡った。そして、その当時の若者が、平気で人を殺せる新人種のように扱われたのだ。若者の意見に対する識者のコメントで、納得できるものを読んだ記憶がない。「殺したらいい、そのかわり君も殺される」ってのがあったが、本末転倒だ。何言ってんだ、こいつ。若者よりもその識者に対して、私はそう思った。

 その若者はちゃんと言ったんだ。「殺してはいけないのは分かってる」って。そしてその後、本当は、こう続けたかったんじゃないか。「どうして人を殺したいと思ってはいけないんですか?」

 表現の使い方を知らなかったんじゃないかと、私は思う。だけど、表だけが善で、心の殺人が許されないなら、その若者も、介護疲れしている若い主婦も、とんでもない人間という事だ。

 

 先日母親が、本屋で家計簿を買っている時、結構な年齢の男性同士の喧嘩に遭遇したらしい。

 「立ち読みで同じ所にずっと立ってるのが気に入らんかったらしいわ。こっちが読まれん言うてな。アホやで、ええ年した大の男が」

 きっと、ああ、すんませんな、を言ってたら、それですんだ事に違いない。でもそれが難しいんだろ?

 ・・・大事な事って何だろうか?