片隅の町の幸せ

それは、あなたの小さな幸せ

心の光(三)、笑顔

 

 ホスピスから脱出するように退院したその日の母親の荒れ方は、たいへんなものでした。その矛先が、息子である私にも向けられたりしたのです。


 「あんたも病院とグルになってるんやろっ!」
 「正直にいうてみい、親子の縁を切るっ!」


 憎しみに満ちた目でそう言われました。そうだとしても、母親の現状は自分で歩くこともできませんから、言葉は悪いですがそれが唯一の救いでした。これで自由に歩き回ることができたらと思うと、何をしだすかわかりませんし・・・。
とにかくその日から、私は母親のベッドの横に布団を並べて寝ることにしました。
 夜、布団に横たわって、ふと、母親と、四国遍路の旅に出たことを思い出して、そのことを言ってみたんです。


 「遍路に行ってるときは、一緒にこうして民宿に泊まったなあ」


 そしたら、ずっと顔を引きつらせて天井を見つめていた母親の頬が、ふっと緩んだのです。


 「そやなあ。また行くか?」


 とまで言ったのには、驚きました。そして、その体ではもう行くことなどできない、そう思うと不憫になり、そして、旅をしていたとき先先と足早に歩いていたことを思い出して、


 「悪かったなあ」


 と詫びを言ったら、さらに驚いたのは、母親は黙ったまま笑ったのです。

 

心の光(二)、脱出

 その夜、私は母親の病室に泊まり込みました。私にベッド上の母親は、翌朝にこの病院から脱出して家に帰るという計画を話すのです。そして一方で、目に見える、または耳に聞こえる現象を語るのです。


 「あそこが青く光ってる」
 「ほら今、電車が走ってるやろ」


 深夜の病室に青く光るものはないし、電車が走る音も聞こえるわけがありません。そして母親は、のどが渇いているだろうと思って私が差し出した水道水を飲もうともしません。


 「この病院の水道水には毒が入ってる。あんたも飲みなやっ!」


 崩壊した精神は、もう元には戻らないだろう。
 一瞬、この母親をベッドに縛り付けてでも入院を続けさせるという、悪魔的な思考が浮かびました。しかし水さえも拒否するこの今の状況では、餓死してしまう。狂気の中に入ってしまった母親の目と見つめあって、私は結局、母親を家に連れ帰ることに決めました。翌朝、私たちはまるで夜逃げのように病院から出たのです。まさに脱出劇のようでした。




 久しぶりに家に帰った母親は、ほっとした様子もありませんでした。そればかりか、


 「病院からつけられてるかもしれん」


 そう言って、かかってくる電話から郵便物から、すべてに神経をとがらせる有様でした。そして、今まで服用しつづけていた約十種類の薬を、


 「もういらん」


 そう言って、ごみ箱にすべて捨ててしまったのです。

 

心の光(一)、崩壊

 前回の記事にて入院していた病院から、しばらくして、母親は緩和ケア病院に転院しました。いわゆるホスピスという施設です。
 母親も、その場所が自分自身の最終地点だと考えていたようです。我々身内もそう思っていました。ところが・・・

 入院して数週間後のある夕方、ホスピスから電話がかかってきたのです。かけてきたのは母親本人でした。どうやら病棟にある公衆電話からかけてきたようです。母親は一人では歩けませんから、横に付き添いの看護士さんがいることは容易に想像できました。母親の口調はまるで、横にいるその看護師に聞かれまいとするような・・・そんな話し方でした。そして、切羽詰っているようにも感じました。「とにかくいますぐここにきてほしい」そういうのです。



 病棟につくと、母親は(前回記事にも書いた)歩行器の中に入って廊下を歩いていました。私を確認すると周りをうかがうような形相で私に近づいてきて、小声で(母親が入室している)部屋に入れというのです。私は母親の目の色を見て、恐ろしい不安を予感しました。
 部屋に入ると母親は私をソファに座らせ自分はベッドに座りそして語り始めました。


 「この病院から早く出ないかん」
 「この病院が出す食事には、毒が入ってるんや」
 「この病院が出す薬も、毒や。毒を飲まされてるんや」
 「病室に音楽をながして(ナースコールでなる音楽のことですが)洗脳してるんや。ここにいる人みんな、それで動かれへんようにされてるんや」
 「それで金を巻き上げてる詐欺集団やねん、ここは。ホスピスという名前を借りてる詐欺集団やねん」


 取りつかれたようにしゃべる母親の目は、私ではどうしようもない暗黒に迷い込んだような目の色でした。絶望という言葉を、私は母親と見つめあいながら心でつぶやいていました。


  

トイレまで500マイル

 母親が入院して数日経ちました。再び帰ってくるかどうかもわからない入院をさせるというのは、身内としてとてもやりきれないものでした。ですが看護師さん達やリハビリの先生方はとても感じが素敵で、母親としては、環境的に良かったのかもしれません。

 
 先日見舞いに行ったときですが、ベッド脇に歩行機が寄せて置いてありました。これで歩いているのかと聞くと、それでも歩けないといいます。もう少し詳しく聞いてみると、どうも歩行機をうまく使いこなせてないようでした。端っこを持って押そうとしていたらしいのです。そうではなくて、歩行器の中にすっぽり入りこんで両肘をついたら立つのも楽だし、必ず歩けるだろう・・・という説明をし、それではちょうどもよおしてきたし、試しにトイレまで歩いてみるかとなったのです。


 私の説明通りに歩行器の中に入ると、なるほどこれなら歩けると感心しています。そうすると、その日担当の看護師さんがやってきて、大丈夫かなんやのと騒がしくなってしまいました。トイレまで歩くのが困難な母親は、トイレ脇に簡易式トイレを置いていてそこで用を足していたのです。トイレまで歩くことが無謀と、看護師さんは思ったのでしょう。しかし母親は、歩いて行ってみるといいました。トイレまで憶測十数メートル。ベッドまでの往復、二十数メートルといったところでしょうか。


 その距離を歩いてみるといった母親はまるで、行ったこともない外国へ旅行へ行くような表情でした。


 結果的に、母親はトイレに行って用を足しベッドまで帰ってくることができました。「歩けたわ・・・」そう言って満足げでした。忙しいのにずっと付き添ってくれて看護師さん、ありがとう。


 病に蝕まれ、衰え、ただ歩くことに幸せを感じるなら、病に勝てないことは不幸せなんだろうか?


 


ただただ、衰える

 筋肉が痩せて骨と皮だけになった母親の下肢が、浮腫み始め、異様な膨れかたをしてきました。足の浮腫というのは、いよいよ終末期に入った証拠だそうです。
 
 今日は、トイレの数センチの段差を乗り越えられなくなった母親のために、板を敷いて段差をなくしました。


 ところで母親は最近、幻覚を見ているようです。家の中を、「子供がうろうろしている・・・」と言ったりします。幻視も、終末の証左だそうです。


 病は、人の体を肉体的に精神的に、ただただ衰えさせていくものだと、分かりました。どうも人は、病には勝てないようです。


 でもそれが、人の幸せと関係してるかどうかと問われると、私は違うと思います。